マダガスカルの「タリカ」
Beats21
 2001年3月、ヨーロッパのワールド・ミュージック・チャートで1位となったのがタリカというバンドである。そのアルバム『ソウル・マカッサル』(リスペクト)が日本盤で発売されることになり、リーダーの「アンチ」(写真)が来日した。
 マダガスカルが持つ特別な文化を背景に、アジアの音楽とアフリカの音楽をつなぐタリカ。リーダーは美形だが、ボブ・マーリーのような側面を持つ女性だった(アンチの本名は、アントゥリヴ・ロスァナィフHanitrarivo Rasoanaivo「首都の香り、己を信ずる高貴な女性」の意)。
 なお、以前紹介した『ソウル・マカッサル』の記事で、彼女を「ハニトラ」と表記したが、これはレコード会社側の間違い。今回、彼女が来日したことで、楽器名など不確かな部分が初めて訂正されることなった。アルバムは6月20日の発売。

■森の中に生まれた反逆者?
----アフリカ大陸の左隣にある大きな島がマダガスカル。国旗は白・赤・緑の3色ですね。
 私が着る手織りのシルクの着物にも、国旗の赤と緑を効果的に使っています。
----沖縄にも有名な手織りがあるんですが、それらは昔は奴隷同然に働かされた女性の納税品でした。マダカスカルの織物はどうですか?
RES48
 同じですね。高地に住む女性たちの大変に高価な織物です。こんにち、このような伝統的な織物を身につけることはマダガスカルでも殆どありません。私は母からもらったものを持っていますが、ステージなど特別な時に身につけます。というのも私たちの文化を、いろんな人たちに知ってもらいたいし、そうやって伝統的な織物を宣伝することで、少しでも値が下がってみんなが着ることができればと思ってやっています。
----タリカの歌には強いメッセージが込められていますが、社会的な問題は常にあなたの関心の的ですか。
 そうです。私はメッセンジャーだと思っています。人々が言うことを許されないことがら、言いたくないことがら、あるいは発言したいことがら、それらを歌で伝える。社会問題は、常に私の創作意欲、インスピレイションの中心にあります。
----そんなあなたの意識は、生まれとか、バックグラウンドなどと関係がありますか。
 ありません。私は反逆者だったんです。別の言い方をすれば、私は森の中の生まれで、兄弟姉妹は今もそこに住んでいますが、私は森から出て、外国語を勉強したかったし外国にも行きたかったんですね。他の人たちとコミュニケイションを取りたかった。それが私の原点です。
----「森」というと?
 私はマダガスカルの首都である(Antananarivo)の出身ですが、首都はあなたがイメージしているような「シティ」という感じじゃないんですね。私はその郊外に生まれました。
----田舎育ち?
 そうではありません。アンタナナリーブはとても広くて、でもシティと呼べる所は中心部のほんの1キロメートルぐらいしかない。あとは何もない。私は首都の出身ですが、中心部から外れた郊外にある森の中で生まれた、ということです。
----東京のような場所に住んでいると、どうしても思い違いをしますね。マダガスカルという島にしても、日本の1.6倍もあるとはなかなかイメージが沸かないし、あなたたちの祖先がアジアからやってきたと言われると、びっくりしてしまう。音楽も、インドネシアの音楽ととてもよく似ているし。
 マダガスカルは世界で4番目に大きな島なんですよ。イギリスの2倍もあるの。
----マダガスカルでプロの音楽家でいることは、大変なことですか?
 国内で活動することは大変なことです。若い才能を伸ばすための機材も楽器もスタジオもないんです。私も初めは一つの楽器も持ってませんでした。そしてたとえミュージシャンになれたとしても、マダガスカルには音楽マーケットと呼べるものがない。そんな国だから、私がプロのミュージシャンになると母に伝えた時、彼女が言った言葉がわすれられませんね。
----どんな言葉を?
 私の歌と踊りをヨーロッパやアメリカの人たちが観に来てくれるの、と母に言ったんです。彼らが私にお金を払ってくれる、って。そしたら母が「どうかしてるんじゃないの? どうして彼らは自分で歌って踊らないの。こっちではみんなが歌って踊ってる」って。

■マダガスカルのボブ・マーリー
----歌手になるきっかけは、どこで?
 最初は歌手になろうとは思ってはいませんでした。私はアンタナナリーブの大学で外国語を習い、そのあとでイギリスへ行きました。ロンドンではマダガスカル領事館の仕事をしていたんですが、9ヶ月後に妹を「森」から呼び寄せたんですね。その時はホリデイでしたから、私たち姉妹はパーティの料理を作りながら昔と同じように二人でコーラスをしていたんです。そうしたらパーティに来ていたBBCのアンディ・カーショウAndy Kershawが「アンチ、その歌はなんだ?」と訊いてきたんです。私は何でもない歌よと応えた。ところが彼は「とんでもない、スタジオで録音してごらん」って。でも私はどうすればいいかまったく判らないでしょ。そうしたら彼はぼくがやってあげると言って、すかさずDATで4曲録音してBBCの自分の番組にかけちゃったの。
----それはいつ頃のことですか。
 1990年。問い合わせが殺到。そこから始まったわけです。
----こういうチャンスを手にしたミュージシャンというのは、マダガスカルで初めて、ということですか。
 そうでしょうね。「発見された」という意味でも、アンディ・カーショウという有力者と知り合えて、夫が金銭やライブ、プロモーションをきちんと仕切ってくれて、ということまで考えると、タリカはマダガスカル初めてのバンドと言えるでしょう。
----あなたはジャマイカのボブ・マーリーのような人なんですね。
 その言葉、感謝します。私たちのアルバム『ソウル・マカッサル』はイギリスで「ボブ・マーリー以来、最もカラフルな作品だ」という評もありました。私とボブ・マーリーは非常に近しい存在だと思います。
----それは音楽の中身も、という意味ですね。
 そうです。語る自由。人々が望むことを口にする自由。自分の考えを心の内に閉じ込めておく必要なんてないのです。私が歌い語りかけると、時に自分もそう思っていたんだ!という大きな声が返ってくることがあります。人は自分を自分の監獄の中に押し込めてしまうことがあるんですね。
----タリカはマダガスカルでとても重要な役を負ったバンドだということですね。
 大変な役目です。私は女ですしね。保守的な国ですから、女がリーダーで、ましてや社会に意見を言うなんて初めてのことです。と同時に、音楽活動は大変にお金がかかることです。日本へ来るにしたって大きなサポートが必要です。だから世界に出かけてマダガスカルのルーツや文化を伝えることが出来ている私たちというのは、本当の意味での大使なんです。大統領だって、こんなことできないんですもの。私たちがエネルギーもお金もなくなってしまったら、マダガスカルの音楽は死んでしまうでしょうね。

■マダガスカルとインドネシアの結びつき
----『ソウル・マカッサル』(アンチ自身は「マカサー」と発音)のことについて教えてください。西アフリカにマヌ・ディバンゴという大物がいますね。彼の世界的な大ヒットに「ソウル・マコッサ」という曲がありますが、それとタイトルとは関係あるんですか?
 音楽的にはありませんが、あの有名な歌に言葉をひっかけてはいます。「マカサーMakassar」というのは、インドネシアのスラウェシ島の部族の名前です。私たちがマカサーの人たちと会った時、彼らから「私たちとあなたたちは同じ血族だ」と言われたのがきっかけです。
----それだけインドネシアとマダガスカルの文化は似ている。
Beats21
 そうです。私たちはマレー/ポリネシア系の人々が祖先です。言葉もとてもよく似ている。タリカtarikaは、マダガスカルでは「〜を導く、引導する」という意味がありますが、インドネシアでは「引く」です。ドアに「タリカ」と書いてあれば、手前に引け、という意味です。こんな例はたくさんありますよ。私たちがこのアルバムを作ったというのも、自分たちがどのようなルーツを持っているのかを自分たち自身で確かめたかったからです。だからインドネシアのバンドゥンでも録音したんです。
----マダガスカルというとアフリカの文化圏の一つと考えがちですが。
 マダガスカルはアフリカではありません。アフリカの文化とも関係はありますが、あくまで独自のものです。
----アルバムのコンセプトもそこにある。
 以前から私たちのオリジンはインドネシアにあると聞いてはいたんですが、よくは知りませんでした。行って確かめようにも、インドネシアもたくさんの島々がありますから。でもある時、テレビでスラウェシで行なわれた大きな儀式のドキュメンタリーを観たんです。
Beats21
----興味深い発見があった。
 お墓から父親の亡骸(なきがら)を取り出して、服を着せ替えるんです。これは私たちの風習と同じです。私たちはマダガスカルだけの特別なものと思っていたのに、大きな驚きでした。実際にインドネシアへ行ってみれば、同じ顔、同じ食事、そして私たちが使っているヴァリィ(琴のような音を出す円筒形の弦楽器/写真)によく似た楽器「ササンドゥ」があるし、インドネシアの笛「スリン」も私たちには「スディン」という楽器があるし、音楽の構造もとても近しい。遠回しの言い方も同じです。例えば「私はとても悲しい」と表現する時、インドネシアの人は「鳥が巣に帰り、天は暗雲に包まれる、大気は冷たく」という表現をする。私たちもそうなんです。
----あなたがインドネシアで見つけたことは、沖縄などアジア地域の古い風習と関連付けて考えると、さらに面白い発見があるかもしれませんよ。沖縄の音楽は聞いたことがありますか?
Beats21
 喜納昌吉ネーネーズを聞きました。平安隆とは一緒にセッションしています。女性ボーカル・ハーモニーが私たちと同じなんですね。平安隆の歌詞の作り方にしても、構造がまったく同じで、力強い。とても不思議な関連性だし、魅力的なことです。
----『ソウル・マカッサル』はヨーロッパでは大成功でしたが、次作はどのような方向性で行くんですか?
 このアルバムで、みんなびっくりしたんです。これまでこれはアフリカだ、あれはアジアだと考えていたものが、まったく違っていたことがマダガスカルのバンドが教えました。今は、その反響から何が生まれ出るのか、自分でもじっくり見据えているところです。
(写真は、タマ=トーキング・ドラムを打つアンチ)。
 取材:2001年5月24、25日。文・藤田正(Beats21)。

マダガスカルの情報:
http://www.care.org/virtual_trip/madagascar/

( 2001/05/30 )

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