MBS「はやみみラジオ」から:山口百恵はなぜ[伝説]であり続けるのか?
 
文・藤田正(2005年12月)
 
 山口百恵はなぜ[伝説]であり続けるのか?……これが今回のテーマです。
 歌手たちの人気のほどを計る場合、ヒット曲がいくつあるか、何万枚売れたか? といった数字が常識のように用いられます。
 たしかに数字は重要な目安ですが、野球で言えば「記録に残る選手であるか、記憶に残る選手であるか」というタトエもあるように、数字は必ずしも人(リスナー)の心の実態を表わしてはいません。
 山口百恵という存在は、この「記録」か「記憶」か? と言えば後者、巨人軍の長嶋のような歌手だったと言えます。
 一つの例として、彼女が活躍した1970年代に大きな権威があった日本レコード大賞では、74年「ひと夏の経験」で大衆賞(複数)を、77年「秋桜(コスモス)」では歌唱賞(複数/最優秀歌唱賞ではない)を、78年「プレイバック Part2」および79年「しなやかに歌って」では金賞(複数)、80年では「特別大衆賞」を受賞……と、その現役時代、五つの受賞しかありません(別系統での大賞の受賞歴はたくさんありますが)。
(このほかには、作詞賞として阿木燿子=76年「横須賀ストーリー」/西条八十賞としてさだまさし=77年「雨やどり」「秋桜(コスモス)」ほかの作詩で、などが)
 ちなみに78年はピンク・レディーの年と言ってよく、二人は怒涛のヒット連発で、その年末に「UFO」であっさりと大賞を受賞しています。
 山口百恵は後輩に先を越された? と言っていいかも知れません。
 でも、山口百恵が1980年に完全引退してから、この2005年で25年も経っているのに、これほどの人気が持続しているのはなぜなのでしょうか?
 先ごろ発表された、NHK「紅白歌合戦」で聞きたい曲・全国人気調査(150万件のアンケート)「スキウタ」の上位100位には、「秋桜」「プレイバック Part2」など3曲が入りました。
 デビュー30周年にあたる2003年には未発表曲1曲を含む24枚組CD BOX『MOMOE PREMIUM』が発売され、このヒットによりブームが再燃。
 2004年には有名な歌手たちによる『山口百恵トリビュート Thank You For…』が発売、今年2005年もそのパート2が発売されました。
 彼女が主演した人気テレビ・ドラマ「赤い…」シリーズも、2005年、リメイクされて話題になりました。

 三浦百恵さんとしてキルト作家の活動を地味に続ける以外、まったく表舞台と縁を切った山口百恵。今回は、その高い人気の秘密を探ってみましょう。

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 1)「3」からの脱出……アイドルを抜け出して:
 日本の歌謡界は、どういうことか「3」という数字が好きなようです。
 古くは「三人娘」「御三家」「新ご三家」……。
 もうちょい新しいところでは「たのきんトリオ」。ちなみに、なぜ彼らは「たのきん」と言ったのでしょうか?
 …と、各アイドルの個性を、きわ立たせるために、人気者たちを「束ねて」「競わせる」のに手っ取り早い宣伝方法が<3人衆>というわけです。
 ちょっと<3人衆>に過去、どういう人たちがいたのかを挙げてみましょう(おおよそ年代順)。
「元祖三人娘」美空ひばり+江利チエミ+雪村いづみ
「ナベプロ3人娘」中尾ミエ+伊藤ゆかり+園まり
「ロカビリー3人男」山下敬二郎+ミッキー・カーチス+平尾昌晃
(番外ですが)「お笑い三人組」落語家の三遊亭小金馬(現、金馬)+講談の一竜斎貞鳳+物真似の江戸屋猫八=これはNHKの人気テレビ番組の名前(最初はラジオ番組、1957年からはテレビ)
「御三家」橋幸夫+舟木一夫+西郷輝彦
「3人娘」南沙織+小柳ルミ子+天地真理 
「新ご三家」野口五郎+西城秀樹+郷ひろみ
「中三トリオ」森昌子+桜田淳子+山口百恵 
「たのきんトリオ」田原俊彦+近藤真彦+野村義男/三人の頭文字「田・野・近」をとって『たのきんトリオ』

 山口百恵の場合は、「中三トリオ」でした。
 森が演歌系、桜田がいかにも可憐な少女系。そして山口百恵は、先の二人よりも少し遅れてデビューしたのですが(1973年)、彼女が最初に注目を浴びたのは、こんなに可愛い少女なのに、セクシャルな匂いを振りまいたことでした。
 あなたに望まれるのなら、何をされてもいいと歌う「青い果実」。
 私(女の子)の一番に大切なものをあなたに捧げてしまうと歌う「ひと夏の経験」。
 今から四半世紀前のこと、少女がこんな歌詞を歌うのは、常識外れでした。
 彼女は、まずこの打ち出し方によって、従来のアイドル像から急速に離れて行きます。
 すなわち、大人もドキドキするような歌手です。
 アニメ「ちびまるこちゃん」の友蔵じいさんも熱烈なファンであるというのは、納得のモモエちゃんなのでした。
 ちなみに、SMAPが男性のアイドル・グループとして、広範な年代のファンをつかんだ最初と言われていますが、山口百恵はその先鞭を付けた歌手だったのです(もちろんそのさらに前には、美空ひばり、という巨大な存在があるのですが、若き日のひばりの凄まじい人気はここで言う「アイドル」とは異なるように思えます)。

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 2)短い芸能生活……まだ絶頂を迎える前だったのに:
 めんめんと語り継がれる歌手という意味で、美空ひばり山口百恵という二人の女性は、日本の歌謡界では双璧と言っていいでしょう。
 石原裕次郎、エルビス・プレスリー、レゲエのボブ・マーリーも同様の存在です(三浦百恵さんは、この人たちと違って元気に生きてらっしゃいますが…)。 
 山口百恵も、毎年毎年、色々な企画によって甦ります。
 2006年の1月には、ライブ音源&映像完全コレクションBOX『MOMOE LIVE PREMIUM』が発売されますが、あの有名な、白いマイクを舞台に置いて去っていった伝説のラスト・ライブ(1980年10月5日@日本武道館)も、完全収録という形でDVDとして収録されます。
 山口百恵の根強い人気は、こういった絶え間ない企画戦略にも一つ理由を求めることができますが、別の見方をすると、さて彼女はこれからどれほどの大物になるのか? とみんなに期待を持たせたその時にあっさりと引退してしまったことも、きっと強い印象を私たちに与えたのだと思います。
 1973年に「としごろ」でデビュー、順調に大スターへの階段を登っていた79年、三浦友和との恋愛宣言。そして翌80年3月、婚約発表。その年の10月には引退ライブ。
 同時代を生きた人には「ええっ!、マジっすか」って感じ。
 …でも、ここには(今から振り返れば)、「アイドルだって恋をする一人の人間なんだ」という、現在の芸能界ではある程度、オープンになった潮流の第一歩だったと言えるでしょう。
 そして彼女&ダンナの凄いのは、世間・芸能メディアが二人の仲をグズグズとやかく言い出す前に、きっぱりと二人の「愛」の姿勢を「完全引退」という形で表わしたことでした。
「潔さ」…それは、彼女の歌にも、ずっと表現されていたものでした。

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 3)ドスを効かせて突っ張って……低音の魅力:
「プレイバック Part2」という名曲はご存じでしょう。
 この歌、モモエちゃんの作詞家として名をなした阿木燿子さんが苦心惨憺の末に書き上げたものです。
 作詞家や作曲家というプロフェッショナルたちは、依頼が来て、はい出来上がり…というわけには行きません。レコード会社のスタッフなり、プロデューサーなりと細かな打ち合わせし、何度も書き直しをすることも(あるいは、ボツになることも)、珍しくはありません。
 阿木さんもこの曲、何度も何度も手直ししたのだそうです。それで、もういい加減にしてっ!…という状態で頭に浮かんだのが、「馬鹿にしないでよ…」という歌謡史に残る捨て台詞だったのだそうです。
 この歌、作曲・宇崎竜童+阿木という黄金のコンビによる1曲ですが、疾走する車とドライバーの感情のイラだちとをダブらせる、いわば「動感」が、これほどまで見事に表現し得たという点で、前例がないほどの傑作と言っていいでしょう。
 松任谷由美の「中央フリーウェイ」も、動感のある佳曲ですが、あくまで「ドライブ」。このトンガリ具合は、70年代に激変した日本の女性像をも象徴していたと言えるはずです。
 
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 4)極端なブレ……気持ちよく翻弄されるリスナーたち:
 3)では「プレイバック Part2」の話をしました。
 ツッパリ? 女性だって、イライラするし、たまには汚い言葉を吐いて気持ちをすっきりさせたいのよ…。
 こんな、今となっては当り前の主張を歌に込めることができたのが山口百恵でした。
 では彼女、そんな歌ばっかりうたっていたのかというと、もちろんそうじゃなかった。むしろ「極端」にブレていたのが彼女です。一般的なアイドルとして突っ走っている時代の少女であれば、なるべく「初期設定」から少しずつ成長していこうとするものですが、山口百恵はそうじゃなかった。
「青い果実」など、あなたには自分の身も心も全部を差し出していい、という歌でドギモを抜いたデビュー時代から、曲調はどんどん変わっていきました。
 人気が絶頂となった70年代の後半では、ロマンチックな「乙女座 宮」をシングル盤で出したかと思ったら、次は「プレイバック Part2」です(78年)。
 80年のロック調の「ロックンロール・ウィドウ」の次のシングルは、美しいバラード「さようならの向こう側」。
 …このように、リスナーを心良く翻弄してくれる、間口の広い歌手が山口百恵でした。
 そして、この様々なテーマを一つにまとめていたのが、あのドスの効いた「低い声」だったのです。
 低音。それは歌手・山口百恵にとっての最大の「武器」だった、と言ってもいいかも知れません。

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 5)歌手なのに歌わない歌手でした……??:
 ポピュラー音楽は、中心となる歌手をフロントにした共同作業によって作られます。
 歌手の後ろには、作詞家、作曲家、編曲家、プロデューサー、演奏陣…と、たくさんの人たちがいて、シンガーを見つめているのです。
 でき得る限り自分でやろうという、一部のロック・バンドやフォークの人たち、あるいはインディーズの人たちは別として、いわゆる「アイドル」「歌謡曲」の世界は、まさしく共同作業なのです。
 歌手は、その中で、自分であること、個性を主張しなければなりません。
 もちろん山口百恵もその一人でした。テレビ、映画、舞台、そしてレコーディングと、秒刻みの生活の中で「モモエ」という確固たる像を作り出さなくてはなりません。
 この共同作業のタガが緩む時、歌手に人気凋落という危機がやってきます。
 その反対は、いい意味でとんでもない「冒険」ができるのです。
 山口百恵には、「歌わない歌手」であった1曲がありました。
 すなわち、「秋桜(コスモス)」「乙女座 宮」「プレイバック Part2」「いい日旅立ち」と次々に名作、佳曲を歌い絶好調にあった彼女の次のヒット作「美・サイレント」(79年)です。
 ご記憶のある方もいるでしょう。この歌のサビでは、
 あなたの、マルマルマルマルが、欲しいのです……なり、
 燃えてる、バツバツバツが、好きだから……なりと、 
 山口百恵は、その伏字(○○、××)のところをステージで口を動かすだけでした。
 これも当時、話題になりました。
 やってしまえば、なんと言うこともないかも知れない。でもこういう非常識は、歌手の声質、イメージ、曲調などすべてを、主要スタッフすべてが理解していない限り、決してうまく行かない<逸脱行為><遊び>です(これはどんな業種、仕事でも同じでしょう)。
「美・サイレント」は、山口百恵を頂点として阿木&宇崎らの作詞作曲家コンビほか、全員が高揚と絶頂の状態にあったことを示す、最高の例です。
 このゾクゾクする「伏字」、たまりませんよね。
 だが、山口百恵のさらに驚くべきことは、こういう激しく、緊迫感あふれる(別の意味で言えば、いったい本当の自分はどこにあるのか分からなくなるような)ポップ・ミュージックの共同作業の世界と、訣別したこでした。
 それは「美・サイレント」から1年後の、婚約発表、引退となって現われます。
 突然の(ファン、そして業界との)断絶。
 果たして山口百恵は、自らが自らの手で「伝説」を作り上げた、日本歌謡史上唯一のシンガーとなったのでした。

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*この原稿は、毎日放送「はやみみラジオ 水野晶子です」(月〜金 午前6:00〜7:45)の「音楽いろいろ、ちょいかじり!」に書き下ろしたものを再構成しました。山口百恵特集:2005-11-28〜2005-12-02放送。

はやみみラジオ 水野晶子です:http://mbs1179.com/mimi/

( 2005/12/17 )

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