成長する歌姫・今井美樹
レコード・ジャングル 中村政利
 どうして今まで、このディーバ(歌姫)を知らなかったのだろう。思春期以来35年間ほとんど洋楽一辺倒で来たこの僕がいま今井美樹に夢中なのだ。
 きっかけは去年の夏に見たNHKテレビの深夜ドラマ。ただし、3年前の番組の再放送でというのが情けない。番組の終わりにほんの1分ほど流れる『微笑みのひと』。繰り返し聴くうちに、その歌声の表情の暖かさにたまらなくいい気持ちになっている自分に気付いた。よく聴けば、歌声ばかりではない。曲もしゃれていれば、アレンジも気が利いている。J-POPなんてマンネリな歌謡曲の延長だとばかりバカにしていた自分の偏見に疑念が生まれた。                    
 とりあえず店にあった10年近くも前に出た『PRIDE』というアルバムを聴いてみる。たちまち今井美樹の優しさと透明感あふれる声にはまった。声だけではない、その歌い方は禁欲的といえるくらいにコントロールされ、恋の甘美と痛みとを歌う歌詞のせつなさが胸に迫る。そして、数少ない楽器でうたの陰影をくっきりと描き出すアレンジの妙、とくに、ボーカルと対等に渡り合うギターの表情の豊かさにうならされてしまった。
 今年、歌手デビュー20年になるという彼女の全部のアルバムを集めるのにたいして時間はかからなかった。アルバムばかりではない、マキシやシングル盤、DVDやビデオ・テープまで、そのあらゆる作品がいま手元に揃いつつある。これほどひとりのアーティストに執着するのは中学生時代にビートルズに夢中になって以来はじめてかもしれない。
 生理的に魅かれる声というものがある。今でも見知らぬ女性の電話の声にときめいたりもする。記憶をたどれば、園まりや日野てる子の優しい声やなめらかな歌いぶりにたまらなくいい気持ちになっていた小学生の自分がいた。13歳でポップスを聴き始めたころはカンツォーネのジリオラ・チンクエッティの声にうっとりし、その後はソウルのサム・クック、ブラジルのエリゼッチ・カルドーゾ、テキサスのフレディー・フェンダーなど聞き惚れた声はいくつかある。そしていま僕がもっとも引き込まれるのがこの今井美樹の声なのだ。
 20年前、オーディションテープで初めて彼女を聴いたレコード会社のディレクターも、プロフィールや写真すら見ることもなく、その声に惚れ込んだのだということだ。あらゆる身体表現にはその人の資質や教育や経歴が反映されるはず。ディレクターが『何が何でも世に問うべきだ』と確信した「声」とはもちろん生物学上の声にとどまらない。その「声」には荒削りながらも、すでに本人自身の財産として、深い感情の襞が織り込まれていたことだろう。

 宮崎の田舎町の電器屋の一人娘として1963年に生まれた今井美樹。今となっては信じられないことだが、日本経済の高度成長期にはサラリーマンの趣味の上位には常にオーディオいじりがあった。無類のジャズ・マニアであった父親のもとオーディオ・ショップと化した店には四六時中、洋楽が流れ、生まれたときから彼女のまわりには常に音楽が溢れていたという。ままごとしながらレコードで知ったジャズのフレーズを口ずさんでいたという今井が、知らず知らずに音楽表現のいちばん根っこの部分を身につけていったとしても不思議ではない。

 初期の2枚のアルバムは技術的には未熟だ。初々しさとひたむきさとがもっとも大きなセールスポイントである。だが、その当時の楽曲からすら、ほかの誰にもまねできない自然な感情の襞がふるえているのが今になってみればよくわかる。
 佐藤準という、もっとも巧みに今井の資質を引き出すアレンジャーのもと、ヒットした「彼女とTIP ON DUO」、「Boogie-Woogie Lonesome High-heel」、「瞳がほほえむから」の3枚のシングルで初期の今井美樹ワールドは完成し、続く「Piece Of My Wish」は初めてミリオン・セラーを記録する。
 だが、歌手として成功を収めれば収めるほど、「いつも明るくさわやかな美樹ちゃん」という一人歩きする自分のイメージが負担になった彼女は抵抗を始めた。それは最初は「笑わない」という態度になって表された。雑誌のモデルとして写真を撮られたときもいっさい笑わないように努めていた。本人が「笑わない時代」と呼ぶ80年代末、「Mocha」以降のアルバム・ジャケットにしばらく笑顔はない。それどころか、恐い顔をして睨んでいたりする。
 今井美樹がつづいてとった抵抗はさらに激烈だった。必勝の方程式である佐藤準のアレンジを放棄し、新しい制作スタッフをレコード会社に要求したのだ。
それが92年の「Flow Into Space」でのアレンジャーや作曲者としての久石譲や坂本龍一、そして布袋寅泰の起用である。
 布袋の起用は、当初はアルバム中の2曲の作曲と、ギター担当だけだった。パンキーでハード・エッジなロック・ギタリストだという布袋のイメージは暖かで柔らかな今井美樹の世界とはあまりにミスマッチだというのが大方の危惧だった。だが今井が見通したとおり、布袋の参加は今井の表現に新しい次元を加え、今井の歌世界を深化させるものであり、さらには「自立したおとなの女性」という明確なアティテュードが作品に伴うことを促するものだった。
 方向転換の手ごたえに勇気付けられ、次の二つのアルバムで布袋の参加の比重は増し、作詞やアレンジも担当するようになる。シングルでは93年の「Bluebird」からは布袋作曲の作品が続き、アルバムでも、97年の「PRIDE」では、全曲の作曲・アレンジが布袋の担当となるばかりか、詞も今井と布袋だけで書き上げており、その路線は2001年まで継続された。

 今井美樹はけっして器用な人間ではない。テレビで連続ドラマを演じるたびにその役に曳きずられて精神的にズタズタになったとの告白を読んだことがある。彼女の歌世界の深化は現実の恋愛感情の深化と歩みをひとつにしたものだったことは想像に難くない。布袋が制作にかかわるようになり、妻帯者である布袋に激しく恋し、あこがれて、彼女の作品は恋愛感情の極限の切実さを吐露するものとなっていく。また布袋も今井に応えるかのように、作詞、作曲、ギター演奏、コーラス、アレンジと、制作面のすべてを仕切りながら彼女への恋情を激しく燃え上がらせていく。
 この時期、布袋が今井に与えた作品は、その多くが「離れた場所から愛を誓う」ことをテーマとしている。おそらく今井は布袋から渡される作品をラブレターとして受け取ったであろうし、それを、万感の想いを込めて歌い上げ完成させることで返答していったのだ。94年から5年間の作品たちは、生身の人間がつづった恋愛の激情のドキュメントとして、この世のあらゆる音楽作品上、類例がないくらいに生々しく切実で、かつ美しい。
 僕はこれらの今井美樹の作品は今井自身の作品であると同時に布袋の作品でもあると認識する。それはふたりの愛の結晶であるということとは別に、布袋寅泰の、それまでの経歴では許されることのなかったもうひとつの面を解放した作品群だということだ。BOOWYでもCOMPLEXでもGUITARHYTHMでもけっして表に出されることのなかった理想主義者、ロマンチスト、あるいはセンチメンタリスト布袋寅泰の美意識の結実がそこにある。それは、さまざまな葛藤ののち布袋と離婚へと至った山下久美子のうたでは表現しつくせなかったものだ。誰も今井のようには歌えないのだから。

 99年、今井美樹と布袋寅泰とは晴れて入籍した。布袋によれば、ほとんど交際らしい交際もないままに、ファックスや電話で励ましあう関係が続いていたということだ。しかし作品を通じて相手を運命のひとと確信していたふたりに迷いは無かったはずだ。
 うたのテーマも、もはや狂おしい恋愛の激情は鳴りを潜め、愛の確認と、日常の平安の歓びへとシフトしていく。またサウンド的には、ダンス・ビートやコンピューター・リズムを多用したり、内外の実力あるプレイヤーやアレンジャーを招き入れたりして、最先端の現代ポップスへとその密度を高めていく。

 2002年には夫婦に大きな事件が相次いだ。妊娠という喜びのなかで迎えた正月に、今井の父が屋根から転落して頭を打ち意識不明のまま入院し、正気に戻ることなく5月に亡くなったのだ。奇しくも、その葬儀の夜、布袋も転倒して同じところを打ち、頭蓋骨が陥没して生死の境をさまよう。そしてリハビリに励む布袋の励ましのもと、今井は7月に女の子を出産。夫婦そろって人の命の尊さとその神秘とをこのときほど思わされたことはなかったろう。地獄の底で出会った天国からの光とでも言うべきスピリチュアルな体験を経て、そのこころはしぜんと作品にも反映されていったはずだ。

 何より家族と家庭とを大切にする妻であり母となった現在、多くの今井美樹の作品のテーマは「理想」であり「友情」であり「人生」であり「愛の普遍性」だ。彼女の人とその命に対する深い慈しみは、あらゆるファンにとっての恋人として、妻として、母として、友として、そして同志として、「癒し」を超えて「救い」となって、その魂を浄化する。歌手としての彼女は、いまや夫・布袋寅泰にとってだけの天使ではないのだ。
 布袋の入院中レコーディングに入った「PEARL」では全面的なアレンジをかつての恩人・佐藤準がつとめた。それをひとつのきっかけとして、いま、今井は作詞、作曲、アレンジを適材適所にゆだねるようになっている。

 不道徳と後ろ指をさされる恋愛、ためらいの果ての結婚、肉親との別離、夫の事故、出産、夫婦の危機、自身の病気など、人生の山、谷を越え、それを成長の踏み石として表現の深みを増してゆくディーバ・今井美樹。自分を育ててくれた曲をいとおしみ、言葉にいのちを吹き込むことで、うたを真実とするほんとうのボーカリスト。彼女が今後どのような出会いと経験の中でうたの宝石を磨いていくのかと、僕はとても楽しみにしている。


− MY FAVORITE 5 ALBUMS −

retour(フォーライフ FLCF31078)1990

 佐藤準の編曲のもと初期の今井美樹の歌唱が完成したアルバム。ていねいな歌声はあくまでやわらかく澄み切り、繊細な少女のままのひたむきさから等身大の20代の女性のこころの風景までを伝えてすがすがしい。佐藤はシンセサイザーを多用しながらも、生楽器のような暖かい音色でボーカルを支え、見事にその表情を引き立てている。岩里祐穂の歌詞を得て、妻子ある男性への片思いの慕情を描いた「半袖」をはじめ、高い文学性を持った作品も多い。先行するイメージに反抗し、もう笑わなくなった頃の彼女。当時のライブをビデオで見たら、チャラチャラしたステージ衣装を着させられてアイドル歌手のような振りで踊らされていた。ホントはイヤで仕方なかったのだろうな。アンコールでは、必死の抵抗だったのか、サバサバした表情をしてジーンズ姿で出て来て、見ているこちらもホッとした。



PRIDE(フォーライフ FLCF3688)1997

 布袋寅泰が作曲、編曲、演奏、プロデュースと、初めて制作全部を取り仕切った入魂のアルバム。愛によって支えられたその完成度はきわめて高い。今井自身の作詞も3曲あるが、それ以外の歌詞もすべて布袋のペンになるもので、内容は全曲、恋愛をモチーフにしたものである。実生活上での恋情がそのまま作品に投影されたものかどうかはさておき、こころのせつなさを訴える今井のボーカルはギリギリの緊張感に満ちている。狂おしいまでの思慕の気持ちを描いた恋のアルバムとして歴史に残る名作であることを確信する。ブックレット内の、身を削るまでに恋やつれした今井のポートレイトが痛々しくもあり、美しくもある。今井の詞になる「私はあなたの空になりたい」とは、今井自身の偽らざるつぶやきであったことだろう。空になれば常に愛する人を見守っていられるだろうし、それをとやかく非難されることはなくなるのだから。



AQUA(ワーナー・ミュージック・ジャパン WPCV10142)2001

 何回聴いてもけっして飽きない僕のドライブの友。ジャジーなアレンジのかっこよさでは今井美樹のアルバムではピカイチだと思う。日本人にもこんなにセンスの良いAORが創れるのだと世界中に自慢したくなる一枚。もちろん、布袋寅泰が作詞作曲からアレンジ、プロデュースまでほとんどすべてを担当。入籍して2年、精神的にも生活上も安定し、落ち着いて、ていねいにサウンドづくりに没頭できたに違いない。渡辺貞夫や、浜口茂外也、八木のぶおなど豪華なゲスト・ミュージシャンの参加のもと、今井のボーカルはいつも以上に伸びやかで、肩の力の抜けたクールでスウィンギーな歌唱に新機軸の魅力を見せる。考えてみれば幼少よりジャズを子守唄代わりに育った今井だ。ジャズっぽいアプローチこそお手の物だったのかもしれない。



IvoryⅢ(東芝EMI TOCT25317)2004

 ベスト盤だといって侮ることなかれ。収録曲の半数が新録音や新ミックスや新アレンジやライブ録音となっており、コアなファンなら無しにはすまされない。もちろん今井美樹の初心者にとってもこの20年間の代表曲が網羅された便利な一枚である。今井美樹とはつくづく、過去に自分を育んだ曲を大切にする歌手であり、「今その曲を歌うということの意味」をつねに問い続けている歌手だと思う。今井がステージで歌うたびに、かつてのおなじみの曲は新たな命を与えられ、その時の彼女にふさわしいものとして甦るのだ。加えて、ほんの少しアレンジやミックスを変えるだけで、曲がまったく別の表情を見せるのは、それだけ、うたが力強い抽象性を備えたものだからである。おまけとして付いているDVDには2003年のオーチャード・ホールでのライブ映像のハイライトが5曲。



20051211IVORY(東芝EMI TOC25935)2006

 今井自身の念願であったという最小編成とも言える、たった4人をバックにつけただけのライブ盤。自分をギリギリに追い込むことで新しい境地へと歩みを進めることを常とする今井がこのたび試みたのは大人のポップスを歌うボーカリストとしての自分の可能性だ。サポートす4人はキャリアの初期から今井を支えてきた今剛(ギター)、高水健司(ベース)に加えて若手の鶴谷智生(ドラム)と斉藤有太(キーボード)。この4人の作り出す緊迫感あふれるグルーヴたるや凄まじい。そのままジャズのコンサートとして通用しそうである。そして成果は早くも2曲目で結実する。18年も前の3枚目のアルバムに入っている「黄色いTV」。表現される歌詞の寂寥感のなんと深いこと美しいこと。25歳の自分に与えられた曲の真価を42歳の今井が引き出す。あたかも人生の宿題としてずっと抱き込んでいたかのように。それは18年前スタジオで付き合った高水や今にとっても宿題だったのかも。バラードの3連リズムが、間奏部では4ビートに変わると、手に汗握るような緊張感溢れるプレイの応酬となってグイグイと引き込まれる。20年の歌手生活を代表するどの曲の歌唱からも、誠実に作品に向き合い育てていくという姿勢のりりしさが伝わり、それはジャケットのすくっと立ったポートレイトの美しさともマッチしている。
 次はこの編成でスタジオに入りトーチ・ソングをあつめたバラード・アルバムを作って欲しい。

( 2006/03/10 )

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