晴れの日に霞む、宇多田ヒカルのあの声
東芝EMI
<1999年6月>
 宇多田ヒカルは、デビュー・シングル「Automatic」が発売された直後に、この欄で紹介した。お母さんである藤圭子と関連づけて、ぼくは「宇多田と藤圭子の関係については、すでに『血のなせるわざ』といった下らない言葉が使われ始めている」と書いた。
 あとは、ベタぼめである。日本の新人として、これはすごいと思った歌手にひさしぶりに出会ったからである。
 それから数ヶ月、「爆発的」という形容はこの子にあると思うほどに様々な記録が塗り替えられた。
 この原稿を書いている六月末の段階で、宇多田は計三枚のシングルと一枚のアルバム『FIRST LOVE』を出し、テレビにも出るようになった。つまり、相当数の人たちが彼女の歌を知ったことになる。そこで、この欄で、音楽評論家としての宇多田に対する評価を書いておこうと思ったのである。
 まず彼女の素晴らしさは、声の質と、その使い方にある。微妙にカスれた声、軽くけむるあの声、である。そこに浮き上がる感情は、天候にたとえれば「晴れのち曇り」、晴れの日に霞む、あのエモーションだろう。彼女の声には、こういった力感が常に存在する。彼女が作る詞曲にも、歌手としての自分の特性にぴたりと焦点を合せているから大したものだ。
 だから彼女の歌は、早いダンス曲ですらしっとりとした哀愁を帯びる。泣かせる。ゆったりとしたビートを使った「Automatic」などでは、さらに歌は胸に迫ってくる。これに「ヒカル・ビブラート」とも言うべき、言葉のしまいの「ふるえ」が加わるのである。
 その典型が三番目のシングルとなるバラード「First Love」だが、歌の始まり部分に聞ける特徴的な「ふるえ」は、彼女独自のものだ。泣き出しそうな気持ちを必死にこらえる主人公が見えるようなのである。この低い声で感情を抑える歌唱が冒頭にあるからこそ、あの美しいサビが鮮やかに立ち上がるのである。「First Love」は「追憶」がテーマの、見事な名曲である。
 ではこういった歌手・宇多田の特色が何によって鍛えられたかといえば、アメリカの黒人音楽である。ここ十数年間における黒人たちの歌は、声を高く張り上げずに「低空飛行」させる傾向にある。簡単に言えばドスを効かせるのが流行りなのだ。宇多田の声の作り方、そして歌手としての表現全体には、彼らからの影響が色濃くにじんでいる。
 実は、先ほどの「ふるえ」にしても、一般の黒人歌手であれば低空飛行的な歌い方で、しかもきれいなビブラートをかけることができるのである。宇多田ヒカルには、まだそれはムリ、とぼくは判断している。宇多田は、彼女の周囲にたくさんいる、現在の黒人音楽に影響を受けた日本の女性歌手と比べて、際立って上手な歌手でもない。
 世間では抜群の歌唱力とか言われているが、そうではない。自分の弱点もふくめた個性の中に、どれほどの魅力が隠されているかを体感できているからこその宇多田ヒカルなのである。ぼくが脱帽するのは、この点である。
 アルバムのほうの『First Love』は、三枚のシングルに収録されいた曲を中心に構成されている。だが各シングルの標題曲の質の高さと、その他の出来ぐあいとに差がありすぎる。バックの音の処理も、アメリカの最新黒人音楽(つまり世界の最先端の一つ)との比較として、月なみなものが多い。彼女の学業の問題があるから、いたしかたない部分はあるにしても、少なくとも、彼女の制作責任者であるお父さんもふくめて、裏方さんにはしっかりとしていただきたいと切にお願いする。
 大変な逸材なのだから。
 
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( 2003/07/10 )

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