ネーネーズを世に送り出したことでも知られる知名定男は、そんな登川誠仁が、初めて内弟子にしたシンガーである。それは1957年、知名が12歳、登川が25歳頃のことだった……。
舞台に最初に登場した知名は、師である登川の昔話を織り交ぜながら満杯の会場を笑わせ、三線を爪弾いた。「ナークニー」、故・
嘉手苅林昌の「白雲節」、彼のデビュー曲「スーキカンナ」。柔らかいミドル・トーンのボーカルが心地よい。
内弟子での3年間は、徹底して歌を教え込まれただけでなく、なにしろ6畳一間の家だから「夫婦生活」とはどんなものなのかも早くから教わってしまった……。
実をいうと、私の師匠は昨日、病院を退院してきたばかり……。
こんなストレートな話が、ポロリ、ポロリと歌と歌の合間からこぼれてくる。
別の者が同じことを喋れば、アブナい発言となるところが、知名のゆったりとした口調がそうはさせないのである。
(写真は知名定男=リハーサル時)