沖縄特集III 多良間島の豊年祭@国立劇場
写真提供:国立劇場
 多良間島は宮古群島の西端にある島で、八重山の中心をなす石垣島にも近い。
 飛行場はあるものの世帯数が500ほどだから、沖縄の離島の一つと言えるだろう。
 この多良間島に国指定重要無形文化財がある。別名「八月踊り」とも言われる島の豊年祭である。
 先祖供養ほか、現代でも各地で様々な伝統的行事が行われている沖縄にあって、なぜ多良間の豊年祭が重要無形文化財に選ばれているかと言えば、まずは、かつての琉球王朝の流れを汲む宮廷芸能が、古式を残した姿で、今も演じられているからである。
 沖縄のメインストリームである「首里・那覇」の古典芸能の中で、すでに中央では失われているのに、遠い多良間島で生きづいているものがある。
 2001年6月9日と10日の二日間、国立劇場(小劇場)で3回に分けて行なわれた「多良間島の豊年祭」は、そのような貴重な芸能を見ようと詰めかけた観客で予備席まで満席になる盛況だった。総勢75名の出演者を東京へ迎えての初めての公演でもあった。
 取材、6月9日「舞踊Aプログラム」。文・藤田正(Beats21)。
 (写真はパンフレットの表紙)。
写真提供:国立劇場
 国立劇場の「多良間島の豊年祭」では、獅子舞から始まり、琉球古典舞踊組踊ほか実に多彩な演目が組まれていた。 
 演目の基本となるのが「御冠船踊」と呼ばれるかつての宮廷芸能である。これはもともと多良間島にあった豊年祭に、琉球王朝の末期以降、本島の本格的な宮廷芸能が持ち込まれたことをきっかけとすると言われている。
 たしかに獅子舞や棒踊などに加えて、老人踊女踊二才踊、そして組踊と、中国や薩摩藩からの使節を歓待するために発達した支配層の芸能(御冠船踊)がずらりと並んでいる。首里の王府から遠く離れた多良間島に、このような演目が伝えられていることだけでも、ちょっとした驚きではある。
 だがもっと重要なのは、多良間島の島民が長い年月(150年ほど)をかけてこれらの芸能を自らの文化としようとした成果が、国立劇場の舞台でもはっきりと見えたことである。
 「多良間島の豊年祭」は、見事で味わい深い「島の誇り」であった。
 (写真は多良間島での豊年祭。以下のページも同様)。
写真提供:国立劇場
 6月9日は、「総引(そうびき)」として、獅子舞と棒踊から始まった。
 オープニングは大きな獅子が舞台奥の幕中から登場し、男性の踊り手に操られ舞台中央に置かれた泡盛の一升瓶を丸呑みにしてルンルン気分になるという設定である。
 (年貢も納めたし)祭りの始まりだ!というメッセージなのだろう。
 獅子舞のバックは、幕の上(舞台中央奥)に設けられた櫓の上の地謡が担当する。えんえんと繰り返されるエイサーのリフにも似た魅力的な三線のリズム・パターンが、とても心地よい。このリズム・パターンはラストの総引にも奏でられたが、権威的な宮廷芸能を「村人の祝い」に組み直していることが、この「大衆的なビート」だけでもよくわかった。
 そして、獅子舞が終われば「祝・豊・年」と染められた同じ幕中から、「福禄寿」という村の長老を中心に、美しく着飾った今回の出演者が次々に登場する。
 いわゆる「お練り」だが、この衣装デザインが感動的だった。
 本島の古典的な宮廷芝居(舞い)が、本土の能などの「わび」「さび」に気遣う傾向があるとするならば、この多良間島の豊年祭のデザインは、はっきりと南の島を謳歌しようではないかと主張しているのである。
写真提供:国立劇場
 黄色、赤、オレンジ、紫と舞台衣装や小道具などの色使いは、子どもの冠や仕切り幕に使われた燃え盛る太陽(前々ページの写真参照)にも象徴されるように、多良間の豊年祭が「太陽と生きることの謳歌」をテーマとしていると言ってもおかしくないほどに陽性かつ東南アジア的であった。
 中国の京劇のようにたっぷりとした黒ヒゲをたくわえ、両手を大きく広げて精一杯威張って行進する支配者の按司。彼が被っている冠には、島の象徴である鷹の羽根が大胆にあしらわれている。
 若衆踊の踊り手の冠のてっぺんには美しい花が咲いている。
 真赤な着物を着て、金色に光る風車を手にする子どもたちもいる。
 彼らは輝かしい「マレビト」なのかもしれない。彼ら「あの世」から訪れた神のようでもあった。

 本島では「長者の大主」として知られる口上と踊りが組になった「福禄寿」、若衆踊「かぎやで風節」、女踊「恩納節(うんなぶし)・長伊平節(ながいぱぶし)」ほか演目の大半が琉球古典のそれではあった。時にユーモラスでもある二才踊もかなり珍しい演目のようだが、では、多良間の伝承者たちがその王朝系の珍しさを後生大事に守っているというような後ろ向きの姿勢であるかと言えば、私にはそうではないように見えた。
写真提供:国立劇場
 彼らは楽しんでいる。
 本島の「正統派」を自認する人々の王朝芸能が、往々にして退屈の域を出ないのに対して、多良間島の人々が東京へ持ち込んだ芸の時空間は「自分たちのリズムに併せた」、生きた芸能だった。
 それは古典の踊りと歌が、(上手下手は抜きにして)しっくりと溶け合っている様子にも窺えたし、また例えば、ラストの総引にもよく表わされていたはずである。

 ラストの総引は、うきうきした「かぎやで風節」に併せて踊られた。
 琉球古典音楽で最も知られる荘厳な儀礼歌「かぎやで風節(かじゃでふうぶし)」を、この大フィナーレの場で、ミドル・テンポにアレンジしなおして歌い奏でるだけでも面白かったが、オープニングで静々と登場した人々が、ここでは歌に併せて、よろよろと酔っぱらいのダンスで行進するのである。
 もちろん獅子も、再びこの場所で一升瓶を呑み干し酔いつぶれてしまう。
 宮古の按司ら、鎧をつけた士族たちもよろよろ、太刀持ちも、高札持ちも、みんな笑ってよろけたダンスで幕の後ろに消えて行く。
 多良間の豊年祭は、琉球の治世から沖縄の治世に至るまでの過酷な支配構造を抜きにして語ることはできないものの、だからこそ「豊かに」「笑顔を」と願う人々の魂の結晶であるように、私には思えた。(おわり)(写真はチラシ)

( 2001/06/15 )

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