登川誠仁
23歳の時(photo:Beats21)
Noborikawa Seijin
1930〜。兵庫県生まれ。シンガー。ソングライター。
 兵庫県尼崎市に生まれ、本島・石川市東恩納(ひがしおんな)に育つ。少年時代から音楽〜芸能の才に長け、親に隠れながら歌や三線を独学した。
 16歳で当時の主要劇団の一つであった松劇団へ「地謡」(じうてー=伴奏者&シンガー)の見習いとして加わり、その後、珊瑚座などの人気劇団で修業に励んだ。この時の先輩に嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう/1920〜99年)がいる。
 沖縄の演劇は、映画やテレビの登場によってその座を奪われるまで、都市・地方に関わらず筆頭の人気を誇っていた。しかも、古典芸能の「組踊」(くみうどぅい)や「琉球歌劇」に代表されるように、歌い舞うオペラやミュージカルの要素が色濃い。
 ゆえに、これら黄金期の舞台を経験した「地謡」は、伝統的大衆歌謡から宮廷系の歌舞に至るまで、幅広いジャンルをカバーする力量を持つこととなるのだが、もちろんその一人が、青年時代の登川誠仁であることは言うまでもない。
 登川誠仁は、いわゆる「民謡歌手」ではない。
 しかも彼は、太平洋戦争後の沖縄において、しばらく米軍基地で働いており、この時に耳にしたアメリカのヒット曲も、ただちに覚え自分のものとした。この中の1曲が、アルバム『Howling Wolf』(オーマガトキ)によって98年に初めてCD化された幻の名曲「ペストパーキンママ(原曲:Pistol Packin' Mama)だった。
 57年、小浜守栄喜納昌永らと共に琉球民謡協会を設立する。同協会は、戦後の沖縄大衆歌謡にとって最も重要な団体の一つだが、この第一期執行部に登川誠仁は最年少で参加している(登川自身は、琉球民謡協会の会長を歴代過去最長となる6期務め、2001年2月現在、同・名誉会長の座に)。
 同年、神童と謳われた12歳の少年、知名定男が、登川に弟子入りする。                  
「民謡ショー」を発案したのも登川誠仁が初めてだったと言われる。
 沖縄音楽を変えた「民謡ショー」「民謡クラブ」の60年代に、「戦後の嘆き」「戦後の数え唄」ほか自作の代表作も発表する。また早弾き名手として、相当の腕達者として、沖縄で広く知られるようになったのも、この時代である。
 当時の姿を伝える作品に『セイ小のカチャーシー』『セイ小の口説集』(共にカセット、マルフク・レコード)がある。(文末の<注>参照)
1970年、声楽譜付の楽譜=工工四(くんくんしー)である『民謡端節舞踊曲工工四』を発表する。いわゆる民謡界で、声楽譜まで付けた楽譜集はこれが最初である。
 1975年、本土に沖縄音楽を紹介した竹中労によって、登川誠仁は『美(ちゅ)ら弾き』(ビクター)などが録音される。しかし、本土の知識人に圧倒的な人気を得た嘉手苅林昌の陰で、登川誠仁は(本土では)それほど騒がれたわけではなく、この時期以後、先の98年の『Howling Wolf』(prod. by 照屋林助&藤田正)まで、フルアルバムは発売されることはなかった。
 登川誠仁の名前が、本土で注目を浴びるのは、1990年代からである。
 いわゆる、りんけんバンドネーネーズらの「沖縄ブーム」が盛り上がる中、嘉手苅林昌ほかの才人たちが、どれほどの功績を残してきたかが、本土で少しづつ理解されるようになってからだった。そこに、くっきりと浮かび上がったのが登川誠仁だった。
 登川誠仁はすでにこの時、一人のシンガーとしても、琉球民謡協会の会長としても、筆頭の力を持つまでになっており、それは「民謡」とは縁がないとされる、古典芸能にまで及ぶようになっていた。
 彼が、古典音楽の中でも最もクラシカルな湛水流の名誉師範と認定されたのも、この流れと無関係ではない。
 琉球民謡登川流宗家であることはもちろん、沖縄県無形文化財技能保持者と、登川誠仁に対して「いかめしい肩書」を加えて行くことは簡単である。
 だが、彼の真骨頂は、弟子など「内」には徹底して厳しいが、われわれ「外」に向けては常に「愉快なオジサン」であることだ。
(photo:RESPECT REC.)
 彼が準主役として登場した映画『ナビィの恋』(99年)が、沖縄映画史上ダントツの人気をさらったのも、中江裕司監督が、この「内」と「外」の間を悠然と跳ぶ登川誠仁のフトコロの深さ、味わいを、まずは映画の中核に置こうと決めた狙いの正確さに負うことが大きいはずである。
 登川誠仁は面白い。だが、その顔、その歌の向こうには、何か大きなものがある。
 一般には「老境」であるその年齢にふさわしくない、青春のかおりが彼の周辺に漂う登川誠仁
 戦後の沖縄音楽の土台を築いた立役者の一人として、彼は今、何度目かの絶頂期を迎えている。
 2001年5月、アルバム『SPIRITUAL UNITY』(リスペクト/prod. by 中川敬&藤田正)発売。
 
<注>「セイ小」=誠小は、「セイグヮー」と読む。彼のニックネイム。「口説」の読みは、「クドゥチ」。
 この記事は、藤田正(Beats21)が、リスペクトの要請で書き下ろした文章を再構成したもの。

( 2001/02/08 )

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