8月31日〜9月2日 しょうちゃんの蛇に三線/藤田正
知念大工
八月三一日(金)

 林房が「これ持って行けよ」と言うので、一式もらった。
 暑いコザの昼下がり、飛行場へ向かう前に、林房の姉貴の秀子さんが三線ケースの中へツメや替えの糸を入れてくれて…はい、どうぞ。林房作・知念大工モデルがぼくの手に渡った。照屋の親戚の安里さんが那覇空港まで送ってくれた。三線ケースという荷物が一つ増えただけのこと、なんだが、羽田へ向かう機内で「これ持って行けよ」の林房の気持ちを考えた。六本木のレコード店で彼の兄貴の林賢と出会って、そのあと父親の林助さんと旅に出て、コザの三線店にも出入りするようになって、考えればぼくと照屋家との付き合いは一八年ほどになる。今年の夏前には林房の初めての三線展が世田谷や石垣島など日本各地で開かれて、ぼくはチラシや世田谷の三日間を手伝った。林房は喜んでいたし、世話をしたぼくも嬉しかった。それだけのことだが、こういう関係って不思議だなとも思った。親戚でもない、仕事でもない、しかしもしかしたらさらに縁は深いのかも知れない、と思わせるオキナワ。
 沖縄の大衆史の真ん中で活躍した林助さんと本を作ったりCDを出したり、ぼくはこの人からオキナワをずいぶんと教えてもらった。林助さんにしても、この偉い先生の一家にしても、照屋の誰もが、ご近所さんと付き合うかのように、ぼくへの視線を変えることは一度もなかった。林助さんが亡くなって、もうこれで俺の沖縄は終わるんだろうかと、感傷的になった時もあった。でも三線職人としてそろそろ名を成しつつある息子・林房が、「これ持って行けよ」と三線を渡した時、エニシは林助を根に、さらに続くのだという言葉なき言葉が楽器の「注意書き」のように貼り付けてあったのだと思った。
 夜、アパートへ帰り知念大工に触れる。
ちにんでーく
九月一日(土)

 ちにんでーく。ぼくが三線のことを調べ始めた時、ずいぶん奇妙な名があるものだと思って記憶した、最初の型の名前。
 知念の職人。知念氏という棟梁のデザインした古い型。
 よなは徹のDVDブックで学ぶこと、二日目。
九月二日(日)

 老、尺、老、工。老、尺、老、工。
 繰りかえし、繰りかえしの指と手に伝うは秋を襲う冬嵐。
 何度かに、気まぐれのように驚くような美しい音が出る。やっぱり林房の知念大工、なのだ。

( 2007/09/06 )

7月8日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「サカイトオル」
7月7日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「朝大さんの後輩たち」
7月6日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「ダリの沖縄」
7月1日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「四味線の脅威」
6月1日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「ひみつ会議だ」
3月31日〜4月3日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「園田青年団」
3月21日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「かぎやで風」
3月19日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「ディスク・ガイド」
3月12日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「腱鞘炎」
2月25日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「30周年」
2月23日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「記者会見」
1月4日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「伽羅」
12月30日、12月31日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「真南蛮」 「えにし」
12月27日、12月28日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「マスク」 「せんゆう」
12月22日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「浅草寺」
12月20日、12月21日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「調子笛」 「ちむぐくる」
12月14日〜12月16日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「コザ、コザ!」
12月11日、12月12日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「ひさしぶり」 「鏡よカガミ」
12月6日〜12月9日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「五十回忌」「市民病院」「篠原有司男」「河合谷小」
12月4日、12月5日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「琉ぬ風」 「オモテの拍子」
12月1日、12月2日 ≪しょうちゃんの蛇に三線≫
 「孝行イモ」
『照屋林賢のだれでも弾ける簡単沖縄三線入門』
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