映画『ジャマイカ 楽園の真実』について
UPLINK
文・鈴木慎一郎(信州大学 助教授)

 ジャマイカで生まれたレゲエは、sufferer(苦しむ者)たちの音楽だとか、嘆きの音楽だとか、反逆の音楽だとか、昔から言われてきたけれど、じゃあ何に苦しみ、嘆き、反逆しようとしてきたのか、という話になると、「人種差別」「貧困」とかいった、いかにも通じやすいけどその分あいまいな言葉ばかりを、私たちはくり返してきたように思う。ややもすると、まるでジャマイカが、私たちの社会とはかけ離れた(?)、奴隷制とか植民地主義とかの負の遺産のせいで国内のことがどうにもうまく機能しない、特殊な社会であるかのように。その点この『ジャマイカ 楽園の真実』というドキュメンタリーは、現在のジャマイカ人たちに嘆きの声を上げさせているのは私たちをも取り込んでいる「新世界秩序」という名の混沌に他ならないということを、克明に伝えてくれる。ステファニー・ブラック監督が2001年に制作したこの映画にはすでにいくつかの賞が与えられており、アメリカ合州国やカナダや英国では何度も上映会が重ねられてきているし、もちろんジャマイカでも、例えばボブ・マーリィ・ミュージアムで上映されたりもしているようだ。

 15世紀末にコロンブスに「発見」されたジャマイカ島では、英国によって本格的な植民地化が進められた。アフリカから連れてきた黒人とその子孫を奴隷として働かせることで生産された砂糖キビは、ヨーロッパ市場に輸出されて英国に多大な富をもたらした。その後、1830年代に奴隷制は終わりを迎え、さらに1962年には独立国家ジャマイカができた。かつて奴隷の手足を縛っていた鎖は、もちろん今日のジャマイカ人の手足を縛ってはいない。ジャマイカ国家は「国際社会」の一員であり、国旗も国歌も持っている。だがそれで1人1人のジャマイカ人があらゆる「鎖」から解き放たれたかというと、決してそうではない。
 
 とりわけ1980年代以降には、IMFや世界銀行などへの対外債務、そして、それらの機関が融資との引き換えに要求する構造調整政策(規制緩和や、教育福祉予算の削減など)が、人々の生活を蝕んできている。スーパーマーケットには輸入農産物が溢れ、またテレビ画面が消費財のイメージを絶え間なく流し続けるようになったいっぽうで、貧富の差は以前よりも拡大したといわれている。映画が捉えるのは、こうした市場原理を最優先する新自由主義の中のジャマイカである。
 
 例えば日本では1990年代初め、「ジャマイカで縫製」とタグに記された3枚1パックのTシャツが、特に珍しがられることもなく大量に低価格で売られていたが、それらが店頭からいつの間にか消え、同じメーカーの今度は中国産のTシャツに代わられたのはなぜか、そんな謎も解ける。ではジャマイカのどこでどのような人々が、いくらの給料を貰ってああしたTシャツを縫っていたのか。そうした「フリーゾーン」(多国籍企業誘致のための工場地帯)で働いていた女性たちの声も、映画の中で聞ける。多国籍企業やWTOやIMFや世界銀行が主導するこうしたグローバリズムは、ゲットーの賢者であるラスタたちがバビロン・システムと呼んできたものの現代版に他ならない。そしてそれに覆われつつあるという点ではジャマイカも日本も違わない。
 
 映画には他にもさまざまな立場に置かれた人間が登場する。農産物の規制緩和やWTOの決定によって打撃を被った酪農業者やバナナ農民。いかにもといった佇まいで自分たちのシナリオを得々と語るIMF重役。さらに、1970年代半ばにジャマイカ首相として最初にIMFとサインを交わしたのは自分の政治生活における最大のトラウマになったと語る、マイケル・マンレイ(1997年に没)。くり返し挿まれるのは、ラスタの淡々としたリーズニング(しばしば聖書を参照しながら世の中のあれこれに関する洞察を共有していく語り合いを、ラスタはこう呼ぶ)と、見ているとシュールに思えてくるくらい愉しそうにツーリストたちが観光に興じるさまである。

 ナレーションは、作家のジャメイカ・キンケイドによる、彼女の故郷アンティーガ(カリブ海に浮かぶ島のひとつ)についてのエッセイ『小さな場所』(平凡社)を下敷きにしている。ナレーションの言葉は、遠くはなれたところから小さな場所の運命を操ってきている大きな力に対しての怒りを、確実に誘い起こしてくる。あくまでクールなその怒りは、映画の終盤でラスタたちによるチャント(詠唱)と響き合い、何かの磁場を形づくっていくかのようだ。

 また、著名なレゲエ・アーティストのブジュ・バントンとヤミ・ボロも、それぞれの持ち歌を歌うという形で特別出演している。映画のサントラ盤CD『Music from the Soundtrack Life & Debt』(Tuff Gongレーベル)は、かれらの曲の他、ムタバルーカ、ジギー・マーリィ、ボブ・マーリィ、シズラ、ルシアーノ、アンソニー・B、ピーター・トッシュらの曲を集めている。

 ちなみに映画の原題『Life and Debt(生と負債)』は、「life and death」つまり<生と死>にだぶらせたものに違いない。ジャマイカ流に<death>という語を発音すると英語の<debt>の発音にとても近いからだ。負債は死と隣り合っている。私たちがそれぞれの「小さな場所」を、それも互いに孤立させない形で、確保していかない限り。そこでいう死にはまた、屍のような状態にさせられてなお生かされ続ける、という残酷さも含まれてくるだろう。

 ステファニー・ブラック監督には、本作に先立つ『H-2 Worker』(1990年)というドキュメンタリーもある。ジャマイカ人たちが特別のビザでフロリダに渡って砂糖キビ農園で奴隷のように働かされるさまを捉えたというこの作品にも、もっと関心が寄せられるとよいと思う。
(この原稿は、映画『ジャマイカ 楽園の真実』の日本公開に向けて書かれたものです。転載を許可していただいた鈴木慎一郎氏、UPLINKのご厚意に感謝します)

*鈴木 慎一郎(すずき しんいちろう):カリブ海地域の文化人類学研究者。1991-1994年ジャマイカの西インド諸島大学モナ校に留学し、1996年立教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。現職は、信州大学人文学部助教授。著書に『レゲエ・トレイン』(青土社)がある。音楽関係雑誌などにも寄稿しており、『ジャマイカ 楽園の真実』では字幕監修をつとめた。  
 

映画『ジャマイカ 楽園の真実』公式サイト:
http://www.uplink.co.jp/jamaica/

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( 2005/06/26 )

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