2002年FIFAワールド・カップ公式テーマ曲を歌うアナスタシア
EICP77
 2002年5月15日、FIFAワールド・カップ公式テーマ曲「BOOM」をふくむアナスタシアのアルバム『フリーク・オブ・ネイチャー』が発売される。
 リッキー・マーティンに続き大ヒット間違いなしのアナスタシアだが、彼女のプロフィールはちょっと変わっている。
 以下は、彼女の経歴に触れたプレス・リリースから。
 
常識を変える、新世紀のR&R(Raw & Real)シンガー
 アナスタシアを表現する時、R&Rは、"Rock n' Roll"ではない。本人が自らを" Yeah, I'm raw and I give raw show" と語るように、彼女は常に自分のありのままの姿で、そしてトレーニングの結果身についたものではない天性のヴォーカルで、オーディエンスを魅了する。アナスタシアは、その声も存在も、偽り無くRawであり、限りなくReal な希有なアーティストなのである。彼女を容易にカテゴライズ出来ない理由はここにある。
Epic
 待ち望まれていたヴォーカル。
 彼女の、その美しい容姿からは、にわかに想像のできないダイナミックな歌声。
 そして圧倒的にリアルなその存在。
 若き実力派として高い評価を得てきたシンガーが、「2002年 ワールドカップ」のこの年に、更なる飛躍を遂げる。ニュー・アルバム 『FREAK OF NATURE』 とともに、そして、2002FIFA World CupTM公式テーマソングとなったシングル「BOOM」とともに。
 
アナスタシアという "常識外れ" の2002年
 アナスタシアのデビューは、2000年だった。メジャー各社の争奪戦を経てベールを脱いだ彼女は、大きな衝撃として世界に伝えられた。
 なぜなら、彼女のすべてが「常識外れ」だったからである。
 たとえば、アフリカン・アメリカンの教会で20年も30年も歌ってきたかのような、抜群の歌唱力を持つアナスタシアの肌は、白い。そして彼女のその若さ。魅力的な女性の写真とスピーカーから流れ出る完璧な女性ヴォーカル。これは、多くの人がかつて経験したことのない「コンビネイション」だった。
 アナスタシアは小さい頃から特別な「音楽的教育・訓練」を受けたわけでもなかった。彼女はシカゴに生まれ、ニューヨークで「ごく普通に」暮らしてきた少女だった。
 しかしそれが、自分はどうも歌うことが好きなようだと気づいてから、世界は一変してしまう。スポット・ライトを浴びたアナスタシアを待っていたのは、マイケル・ジャクソンを含む世界的なアーティスト/エグゼクティブからの、彼女を誘う電話だった。
 あまりにも秀逸なヴォーカルと、その美しい容姿に、辣腕のプロたちが戸惑ったことも一度や二度ではない。(女なら)メガネを取れと言われても、首をタテに振ることのない彼女だった。
 なぜならそれはすべて「アナスタシアという自分」だから。
 デビュー・アルバム『ナット・ザット・カインド』、そして大ヒット・シングル「I'm Outta Love」は、白人・黒人・女性・男性(だから)という常識から抜け出した、特別な存在としての彼女を、世界に強く打ち出した作品だった。
 そして2002年。今。ヨーロッパのポップ/ダンス・シーンを席捲した彼女が、さらに開花する時がやってきた。MTV European Music Awardsの受賞、英・ブリット・アワォーズのノミネーションと、年明けから更なる活躍を予感させたアナスタシアは、続いて、ワールドカップ公式テーマソングとなるシングル「BOOM」で、この2002年を象徴するアーティスト/シンガーとなる。
 世界の3分の2の人々が観戦し熱狂すると言われるのが「FIFA ワールド・カップ」。
 その拍手の大きさ、その数々のファンタスティックな「神技」に見合うシンガー、それがアナスタシアである。
 天に昇るような大歓声のそばに、アナスタシアの声が、響きわたる。
Be Positive, No Surrender(くじけることなしに)
2001年から2002年にかけて、彼女の人気はさらに大きくなってきた。そんな自分の今の気持を、彼女は「シンデレラになった気分よ。ファンタジーの世界に生きてるみたいな気分」と言っている。
 順風満帆のようなアナスタシア。しかし、彼女の歩んできた道は、決して平坦ではない。
 幼くして父親という存在をなくした彼女にはまた、「クローン病」という少女時代から背負い続ける病気がある。クローン病は腸の炎症性疾患から起こり、ものごとをネガティブに考えはじめると精神的も身体的にもとてもまいってしまうという厄介な病気だ。しかしアナスタシアは言う。
「私は(クローン病は自分にとって)天からの恵みだと思ってるの。私は最初からこうなると運命づけられていたと思うし、この病によって自分がどういう人間になりたいのか、自分が周りからどういう風に接してもらいたいのかということに意識を集中し、全力で生きることが出来るようになった。」
 アナスタシアの、誰もが感動するあのポジティブな歌声、そしてその圧倒的な存在感は、まさに彼女自身のリアルな生き方そのものなのである。
21世紀のソウル・クィーン
「彼女は時代を画するヴォーカリストとなる。」
 衝撃的なデビューからしばらくして、彼女の周囲や各国のファンから、このような声が聞こえるようになった。クラブ・ミュージックからカントリー・ロック・テイストの歌まで、広い音楽性を持つアナスタシアだが、その中で最も彼女の特質を表わしているのが「Soul Music」「Rhythm & Blues(R&B)」の王道ともいえる迫力あるヴォーカル・スタイルだ。
 しかし彼女は言う。「私がモータウンだとかR&Bを(小さい頃から)たくさん聞いていたんじゃなかと言われるんだけど、全然違うの。私は音楽をほとんど知らなかった。」
 3歳の時に生き別れた父親はクラブ・シンガー、母親はブロードウェイの女優/ダンサーだったが、それが大きく歌手としての彼女にはっきりとした影を落としたわけではないという。
 子どもの頃、自分だけが計り知れない自分の才能に気づいていなかった。
 しかしデビューしてからの彼女には、「ティナ・ターナー」や「ジャニス・ジョプリン」といったソウル・ミュージックやロック界で歴史を代えたシンガーたちとダブって語られるようになる。
 その一つが、ソウル・ミュージックの女王、アリサ・フランクリンだ。
 アリサは、ただ単にヒット・シンガーとして1960年代から活躍している存在ではない。女性としての自由、女性とのしての尊厳をその歌に折り込み、時代を牽引した歴史的なシンガーである。
 アナスタシアは今、そんな「21世紀のアリサ」に、最も近いシンガーとして注目されているのである。
「(そのように言われることは)とっても光栄に思ってる。嬉しいし、とても感謝してる。だって今までずっと私は、すごい変人(Freak)だとみんなに思われてたから。それを(アリサほか)彼女たちのような歴史的な人たちと同じように見てもらえるなんて、とってもエキサイティングなことだわ」
 
ぜったいメガネは外さない
 歌がうまい、人も羨むような天性の"こえ"を持つということは、時に当人に「不幸」を呼び込むことになる。
 アナスタシアもそうだった。声が大きすぎて、アルバイト先をクビになったこともある(自分では普通のつもりだったのに)。歌が上手すぎて(何をどう歌ってもハマるから)、下積み時代は扱いに困るような存在でもあった(これも、彼女の責任ではない)。
 大器(常識外れ)であるがゆえに、歌手としてピタリとハマる場所がなく、業界に絶望し様々なアルバイトをしたこともあった。当時を振り返って彼女は「この先もし歌って食べていけなくなったとしても大丈夫。事務も出来るし、電話交換台だって使えるし、ヘア・サロンでも働いたし。ホステスとしてお客さんをテーブルでサービスすることも出来るし、チラシ配りも、エアロビのインストラクターだって出来るわ。どれも自分には全然向いてなかったけど、家賃を払ってシンガーとして続けていくために何でもやってたわ。」と語る。
Epic
 彼女は、単なるシンデレラ・ガールではなく「苦労人」---つまり、自分を曲げずに、自分のあるがままに真っ直ぐに生きようとしている女性なのである。
 プロのシンガーになるのなら、メガネを取りなさいと(アナスタシアにとっては)勝手なことを言われ、断固拒否したのもアナスタシアらしい。
「みんな私のことが理解出来なくて、私をはみ出し者みたいに思ってた。私の声、私のルックス、私のメガネ。そう言って私を閉め出してきたの」
 時はめぐり、ファッショナブルなメガネをかけた彼女ならではのステージ・パフォーマンス、そしてその歌は、唯一無二の「独自性」として認められるようになった。
 
待望のニュー・アルバム『Freak Of Nature』
「フリーク」(変人)。
 アナスタシアが、あえてこの言葉をアルバム・タイトルに使ったのも、これまで彼女の才能、独自性がどのよう受け止められてきたかを、ポジティブに象徴させるためだった。
 アナスタシアは言う。 
 「私がこの業界に入ろうとして頑張ってた時、みんな私をフリークって呼んだわ。みんな私のことが理解出来なくて、私をはみ出し者みたいに思ってたの。だからこのセカンド・アルバムでは、私と同じように周りから拒絶されてきてるような人たち、1人ぼっちだと思ってる人たち、周りとは合わない人間だと思ってるような人たちに、みんな同じよ、みんな一緒よという気持ちを持ってもらいたいと思ったの。」
 Be freak. それは、自分に自信を持っている証拠だとアナスタシアは言う。

『Freak Of Nature』は、アナスタシアが育ったニューヨークの録音。中心となるプロデューサーには、前作と同じく、ジェニファー・ロペスやマライア・キャリーらも手がけ、グラミー賞を受けたリック・ウェイクが。この他、サム・ウォターズ(カラー・ミー・バッドほか)とルイス・ビアンカネロのチームがプロデュースと曲作りを担当している。
「今回も私は、マライア・キャリーやセリーヌ・ディオン、ホイットニー・ヒューストン……最高のボーカリストと一緒に仕事をしてきた人たちと、このアルバムを作ったというわけです。」
 アナスタシアは、冗談ぽく(半分マジメに)、マイクを壊してしまうほど大きな声が出る私というシンガーに、充分に対応できる許容範囲のとても広い人物というのも、プロデューサーとして重要なことだと語っている。
Epic
 2002FIFA World Cup公式テーマソング「BOOM」。
 1998年のフランス・ワールド・カップではリッキー・マーティン。
 2002年の韓日共同主催では、アナスタシア。
 ピッチを駆ける世界各国から集まったスター選手が巻き起こす興奮と熱狂の中に、アナスタシアの「BOOM」が浮かび上がる。彼女は、サッカー世界一を決める世界の大イベントに結集する「戦士」たちに、この歌を捧げると言う。自分もこの大会の重要な役割を担うことができて、「夢のようだ」とも。
 人々の団結と、スポーツの美を高らかに歌い上げたのが「BOOM」。
 ブロンドの髪をなびかせ、その強烈なスーパー・ボイスで我々を圧倒するアナスタシア。
 日本でのブレイクも、目の前に迫っている。
(おわり)

( 2002/04/02 )

好評発売中! 『ブルースの百年』 by 藤田正&中村政利
2015年2月6日 発売! 「ボブ・マーリー よみがえるレゲエ・レジェンド」
ウィリー・ナガサキ CD『MIDNIGHT RUMBA』発売記念スペシャル・ライブ!
第4回「コザ・てるりん祭」の内容、決定!
スペシャル・ラテン・ナイト! ウィリー・ナガサキ&コンボ・インぺリアル
ウィリー・ナガサキ 5月の東京Live決定
ウィリー・ナガサキ「サンタナ・ナイト」in 博多
ウィリー・ナガサキ&コンボ・インペリアル:vol.4 は4月18日
第3回コザ・てるりん祭、4月4日に開催:
アルベルト城間と河村要助の世界:「”ラテン”で繋がるぼくらの友情」展
アナスタシア
2002年FIFAワールド・カップ公式テーマ曲を歌うアナスタシア
2002年FIFAワールド・カップの公式テーマ曲が発売
表紙へ戻る