文・藤田正
沖縄ポップの祖、
照屋林助が亡くなったのは昨年(2005年)3月のことだった。
あの時、葬儀も立派なものだったけど、氏の自宅へ戻ってきたら、思わず足を止めるほど庭に献花がびっしりあふれていて、なんだかこの世に自分がいるという現実感すら消えてしまった。
今、
照屋林助の自宅にそんなイメージはない。「てるりん館」とも別称されるコザ(沖縄市)の自宅は、外壁がすっきりと明るく塗り替えられて、1階にある
三線店も氏の名前にちなみ「
照屋林助三線店」と名が変わった。この店は、野村流古典音楽の大物の一人であり
三線製作者としても名を成した照屋林山によって開かれ、その後、息子である林助らの手へと経営がわたった。今、
照屋林助三線店は、林助の妻である澄子によって切り盛りされ、
三線の製作は林助の息子である林次郎が一手に引き受けている。
店内には林助の写真パネルが何枚も飾ってあった。氏ゆかりの「改造四味線」や、林次郎の手になる
三線がずらりと並んでいる。林助の長男が、りんけんバンドの
照屋林賢だから、もちろんバンド関連の写真、CDも多い。
北谷でりんけんバンドを見て、翌日、コザのこの店に立ち寄るという本土の人たちもけっこういる。澄子は商品が売れようが売れまいがまるで気にするふうもなく、訪れる人にはお茶を勧め、長い間、話し込むのだった。どこから来たのか、北国は寒いのか、沖縄はいいよー、うちの林賢の音楽はとっても上等、といった世間話である。遠くのスピーカーから林助の歌声が小さく流れていて、店の椅子に腰掛けてしまうと1時間や2時間、午後のひと時はあっという間に過ぎてゆく。沖縄らしい空気感はこの店にこそあると言っても差し支えない。
棚には普及用の
三線のそばに、数十万円もするスペシャルな一点ものも並んでいる。すらりとした棹の美しさ、塗りの上品さ。そして、この
三線を作る林次郎の工房はすぐ隣にあって、彼は日長、その場所で
三線のデッサンを描き、もはや希少品となったクルチから棹を切り出し、じっくりと月日をかけて逸品を完成させるのだった。自分をこれみよがしに売り込むことを嫌うアーティスティックな林次郎だから、にこやかな笑顔と共にメディアに登場することは、ほとんどない。
だがその
三線は語るのだ。「島の歌」の名門…すなわちテルヤとは、いかなるものであるのかを。
(写真は、店内に陳列された
三線。後方に林次郎の写真が)